Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
白駒先生の品のある丁寧な解説、興味深く拝見しました。史実に基づくストーリー解説だけでなく、平安文学の世界観も含めて味わえるところが魅力的です。ただ、塩津山の「知らぬらむ〜」の歌に関して、「知らぬ」だと「知ら」(未然形)+打消の「ず」(連体形)で、「知らないこと」になってしまうのは⁉︎と疑問に思って確認したところ、どうも「知りぬらむ」のようです。これなら「知り」(連用形)+完了の「ぬ」(終止形)なので、その後の現在推量「らむ」にもすんなり接続して、先生の解説とも一致しますね。小さな違いではありますが、たぶん歌人たちはその一文字にも想いを込めていたのかな、と思うので……。
白駒先生、いつも丁寧な解説をありがとうございます。第21回の解説を拝聴した後、50年近く前に購入して茶色になった「枕草子」を取り出して、少しずつ読み返しております。ご紹介いただいた巻末を読み、「心に思ふ事を ~ いとものおぼえぬ事ぞ多かるや」の部分では、徒然草の「心にうつりゆくよしなしごとを ~ あやしうこそものぐるほしけれ」との類似性に、思わず笑ってしまいました。でも本当は、たった一人の悲しき中宮 定子のために書かれたということなのですよね。さて皆さん、今回の第22回で為時が見ていた宋船に積載されている品物の目録は、お読みになられたでしょうか。僅か数秒間でしたが、私が読めた物だけでも「沈香・白檀・甘松・丁字・桂皮 等」がありました。それらはお香に使う香木や薬草の類であり、千年以上前に宮中で皇族や貴族が「薫衣香」を楽しんでいる雅な光景を連想しました。この例からだけでも「光る君へ」では、些細な小道具に至るまで、細やかな神経を使って考証がなされていることに毎回感心させられます。ついでながら、私が最も感心したのは第10回「月夜の陰謀」で、時々映される月が正確に「カレンダーと時計」として使われていたことです。つまり花山天皇を剃髪させる計画立案日、同決行日、暫く後の道長とまひろの月夜の逢瀬まで、月齢と月の位置から日付と時間帯が分かるようになっていたことで、これには私も正直うなりました。例えば花山天皇を連れ出したときは「下弦の月」だったので23日前後、月の位置からは深夜の3時前後と推測できました(単なる一例ですから、間違っていたらごめんなさい)。今後もNHKさんよい仕事を期待しておりますよ、乏しい年金から年額2万4千円も払っているのですから(笑)。
宋船の荷物の目録❗わぁ、細かいところまで確認していらっしゃるのですね😍素晴らしいです✨✨私は今回の放送をスマホで見たので、細かいところはチェックできませんでした💧老眼の影響も大きいかも…😅そして、月のお話ですが、古典を味わったり、歴史を読み解くのに、月は欠かせませんね❗『光る君へ』の時代考証は、本当に素晴らしいですよね✨✨
私も定子様が大好きなので、先生の解説に心洗われる思いです。毎回楽しみにしています。
励みになるコメント、本当に有難うございます✨✨同志に出会えた気分で、本当に嬉しいです💗初の大河ドラマ化、感無量ですね🍀
白駒先生、いつもありがとうございます😊。平安の雅の美しさをうっとりしながらこのドラマを見ておりましたが、道長の疑念、宋人は本当に商いをしに来たのか?もしや官人、あるいは戦びとなのではないか?という懸念は千年後の現在を生きる我々と共通の懸念ではないのかと、急に現実に引き戻された思いです😥。そう思うのは残念ですが、にわかに為時頑張れー🇯🇵と思うのです。後世の子や孫は現代をどう評価するのか心配になりました。
ホント、宋人たちの狙いがよくわからず、ちょっと不安ですよね💦疑うことも、信じることもせずに、先入観なしで相手を観察し、分析することが必要ですね!私たちが子孫からどう思われるか…考えると、急に不安になってきました😅
先生の解説にある紫式部集22番に「浮」「舟」の字があり源氏物語の浮舟の着想がここにあったという説があるというのはなるほどと思いました。浮舟の人生は水に浮かぶ舟のように自分ではどうしようもない運命に流されていたと思いますが。もう一度宇治十条を読んでみます。今日も有難うございました。
コメント有難うございます✨✨浮舟の人生は、本当、このネーミングの通りですよね。でも、なぜか嫌いになれなくて…💦彼女が人間として成長する姿を見たいです😊でも、出家しちゃうと、それも難しいですね💦
「塩津山」の歌。苦労している担ぎ手の人達に上から目線の歌、と思われがちですが、「皆さんはわかってしまっているんでしょうね、人生の大変さを(私はこれからです、つまり未熟者です←ここが大事)」ということで、「誉めて笑いをとって励まそうとしている」というところではないでしょうか。そうでなければ、わざわざ詠む意味がありませんので。道長の苦渋の顔が印象的でした。落飾が5月、貴子死去が10月、出産が12月、道長もこのタイミングの悪さに身も凍る思いだったと思います。出家した中宮の出産、何かひとつ間違うと大問題。さすがの実資の日記にも前例がないはず。定子亡き後、道長も御子の世話をすることになると思いますが、清少納言はどうだったのだろう、と気になりました。
なるほど😊
わぁ、そういう解釈、素敵ですね❗私もそのように受け止めるようにします😍定子の生んだ子どもたちは、彰子が育てることになると思います😊実は彰子は、定子の産んだ皇子に皇位を継承させようとし、そのことで父の道長と対立したと言われています。
ドラマでは紫式部の越前下向があっという間に描かれているので、白駒先生に丁寧に解説していただきありがとうございます。浮舟の件、禁断の愛は源氏物語の大好物ですよね😊
コメント有難うございます✨当時は都と地方では文化のレベルがまるで違うでしょうから、短い期間でも、紫式部にとって、越前での暮らしは、さまざまな刺激となり、後々まで影響を及ぼしたのでしょうね😊禁断の愛…❗ 確かに『源氏物語』には、これでもかというぐらい、禁断の愛が溢れていますね😅
やっぱり道長はお父さんと同じドラマではいい道長なんでしょうけどどうなるか楽しみでもあり苦しいです
過去の大河では、純粋だった主役が、権力の座に上り詰めるに従って、闇落ちしていきましたもんね💦今回の道長はどうでしょうね😊
初夏初夏さんの真心泣ける😭
ごめんなさい、初夏初夏さんの意味がわからなくて…💧
@@白駒妃登美-d7v ファーストサマー ウイカの漢字表記です。🤓
@@白駒妃登美-d7v ファーストサマー「初夏」初「うい」夏「か」さんのことらしいですよ(☆∀☆)私も調べてみて楽しくなっちゃったんですよね(*>∇<)ノ
@@つっちん猫次郎さん💞なんと、ファーストサマーウイカさんの漢字表記でしたか❗座布団3枚差し上げたいです😍はい、彼女の真心には泣けます😭😭
@@Naraaogakiさん💞教えてくださり、有難うございます✨✨センス抜群ですね😍
白駒さんの動画を見て中宮定子という人物に大変興味が湧きました
コメント有難うございます✨私は極端な定子推しなので、話半分ぐらいに聞いてくださいね(笑)
いつも楽しく拝聴しています。確かに「かわいそう」なのかもしれませんが、定子は伊周を半ば匿う形になり、許可を取らずに落飾します。何故一条は定子に中宮号を返上させた上で庇護するという選択をしなかったのか。このあたり、つまり中宮号を与えたままの状態でいることを非難するような記述が権記にもあります。中宮は皇后の別称ですから中宮号には非常に重い責任があった上に成り立っています。自身の役職の安定も当然あったでしょうが、臣下たる貴族衆の考えを背負った上で、道長はこれ以降も行動していたようにわたしには思えます。確かに現代人から見ればかわいそうではありますが…
毎週動画をご覧くださり、有難うございます💗そうですね💧 行成は、出家した定子には天皇の神事を支えられないから…という理由で、彰子を中宮にしたい道長をバックアップしました。そして、道長が自分の職務を全うしたというのも、その通りですが、道長の定子へのいじめは、度を超えていたなぁと思うのです。出産のため定子が引っ越しをする時も、わざわざその日を選んで1泊旅行に出かけ、貴族たちに引っ越しを手伝わせないようにしたり…。後ろ盾がいない姪っ子にそこまでするのかと、胸が痛くなります💧💧だから、ますます一条天皇は躍起になって定子をかばい、支えようとしたのでしょうね。人間の心理って、今も昔も変わりませんね😊
@@白駒妃登美-d7v 返信ありがとうございます。確かに叔父が姪にと考えればやり過ぎだと思います。わたしも枕草子、素晴らしい随筆だと思っています。清少納言の定子への愛情も疑う余地がないですね。それゆえに後世、道長が不必要に悪人にされている気がしてなりません。権記には「帝の個人的な私恩によって、中宮号を止めずに封戸も支給されているに過ぎない。尸禄素飡の臣(禄盗人)のようなものである」とあり、定子に皇子が生まれた時、小右記では『横川の皮仙』と皮肉っています。このように言われる時代だと考えるならば、一条の未熟さが残念でなりません。長文失礼しました😅これからも楽しく拝聴させていただきます。
@@midoriyoshida6397さん、深いコメント有難うございます✨こんなふうにやりとりできることを、とても幸せに思います🍀帝のことを悪くは言えないので、側近が悪く言われてしまうことは、いつの世も同じですね!これは、私の推測ですが、伊周や隆家がやりたい放題のことをやって、中関白家は自滅するわけですが、花山院の意向を無視して大事件に仕立て上げ、女院や道長への呪詛を主張した者たちの、悪意のようなものを一条帝は感じていらしたのかなぁ💦定子が亡くなった時の、帝の嘆きはひしひしと伝わってきますが、女院が亡くなった時、息子としての悲しみを伝える史料は無いように思います。帝にお逢いして、直接お気持ちをきいてみたいですよね😊これからも楽しみにご覧いただけること、とても光栄に嬉しく存じます❗今週も頑張ります😊😊
少納言も、火事で家と家財道具を全部失った下男に「御秣をもやすばかりの春の日によどのさへなど残らざるらん」と詠んで女房たち皆で爆笑していた話があったから、貴族は庶民をレベルの低い階級、と見るのが生活習慣みたいだったんだろうな…
そうなんですよね!今とは社会規範が違うので、比較するのも無意味なのかもしれませんが、高級貴族の意識はそんなものなんですよね。でも、だからといって、彼ら、彼女らの残した業績が色褪せるわけではありませんが、庶民の悲哀を感じますよね💧💧一条天皇は、大変聡明で、民を思っている人物のようにドラマでは描かれていますが、もしかしたらトップに立つ人間の方が、民を思っていたのかもしれませんね💗
越前では、まひろに新恋人が出来た?そんな予感がしますね、周明とまひろの恋の行方が気になりますね、一方京都では、定子様が道長に帝の子が出来たと言い守ってくれるよう頼んでました、道長ならきちんとやるでしょう
まひろと周明の恋の行方、気になりますよね!周明の気持ちはまだよくわかりませんが、まひろはかなり積極的でしたもんね😊ドラマの中の道長に、しっかり定子と御子を守ってほしいです😍歴史の中の道長は、かなりひどい仕打ちをしているので、せめてドラマでは…と祈るばかりです❗
我が心 焼くも我なり はしきやし君に恋ふるも 我がこころからとはいえ、それを理由に心を捨ててしまっては命は輝かずまるで死んでしまっているようです。大切なことは、まっすぐな想いを善いものとして紡ぎだし、ありがたいものとして編んでいけるようになりたいということ。そんな想いを私は源氏物語から受け取っています(*´ω`*)
『源氏物語』からの素敵な学びをシェアしてくださり、有難うございます✨✨『源氏物語』は、人間心理の奥深くと向き合うことのできる、素晴らしい作品ですよね✨
白駒先生が清少納言推しであるのは、個人の自由なので構いませんが、式部が籠を担いだ人に向けて読んだとされる和歌をもって、上から目線 と断言するのはいかがなものでしょうか!源氏物語という、途方もなく深い深い大作の作者ですもの、ユーモアを持ったもうひとひねりある違う解釈を期待してましたが、ガッカリです。定子推しで目が曇ってしまってます?
貴重なご意見有難うございます!ぜひユーモアを持った、ひとひねりした解釈を教えてください😊別の方が、コメントで私の全く思い至らなかった解釈を教えてくださり、大変勉強になりました😍
白駒先生は清少納言持ちだから分かりますが、残念ながら定子様が落飾されたのは明らかです。そこにケジメを着けなければいけないと言うことではないでしょうか。
はい、論理の上では、その通りなんです。でも、人間の心は簡単には割り切れませんね💦 定子推しの私もそうですが、おそらく一条天皇もおつらかったでしょうね💧💧
白駒先生の品のある丁寧な解説、興味深く拝見しました。史実に基づくストーリー解説だけでなく、平安文学の世界観も含めて味わえるところが魅力的です。
ただ、塩津山の「知らぬらむ〜」の歌に関して、
「知らぬ」だと「知ら」(未然形)+打消の「ず」(連体形)で、「知らないこと」になってしまうのは⁉︎と疑問に思って確認したところ、
どうも「知りぬらむ」のようです。これなら「知り」(連用形)+完了の「ぬ」(終止形)なので、その後の現在推量「らむ」にもすんなり接続して、先生の解説とも一致しますね。
小さな違いではありますが、たぶん歌人たちはその一文字にも想いを込めていたのかな、と思うので……。
白駒先生、いつも丁寧な解説をありがとうございます。第21回の解説を拝聴した後、50年近く前に購入して茶色になった「枕草子」を取り出して、少しずつ読み返しております。
ご紹介いただいた巻末を読み、「心に思ふ事を ~ いとものおぼえぬ事ぞ多かるや」の部分では、徒然草の「心にうつりゆくよしなしごとを ~ あやしうこそものぐるほしけれ」との類似性に、思わず笑ってしまいました。でも本当は、たった一人の悲しき中宮 定子のために書かれたということなのですよね。
さて皆さん、今回の第22回で為時が見ていた宋船に積載されている品物の目録は、お読みになられたでしょうか。僅か数秒間でしたが、私が読めた物だけでも「沈香・白檀・甘松・丁字・桂皮 等」がありました。それらはお香に使う香木や薬草の類であり、千年以上前に宮中で皇族や貴族が「薫衣香」を楽しんでいる雅な光景を連想しました。この例からだけでも「光る君へ」では、些細な小道具に至るまで、細やかな神経を使って考証がなされていることに毎回感心させられます。
ついでながら、私が最も感心したのは第10回「月夜の陰謀」で、時々映される月が正確に「カレンダーと時計」として使われていたことです。つまり花山天皇を剃髪させる計画立案日、同決行日、暫く後の道長とまひろの月夜の逢瀬まで、月齢と月の位置から日付と時間帯が分かるようになっていたことで、これには私も正直うなりました。例えば花山天皇を連れ出したときは「下弦の月」だったので23日前後、月の位置からは深夜の3時前後と推測できました(単なる一例ですから、間違っていたらごめんなさい)。
今後もNHKさんよい仕事を期待しておりますよ、乏しい年金から年額2万4千円も払っているのですから(笑)。
宋船の荷物の目録❗
わぁ、細かいところまで確認していらっしゃるのですね😍
素晴らしいです✨✨
私は今回の放送をスマホで見たので、細かいところはチェックできませんでした💧
老眼の影響も大きいかも…😅
そして、月のお話ですが、古典を味わったり、歴史を読み解くのに、月は欠かせませんね❗
『光る君へ』の時代考証は、本当に素晴らしいですよね✨✨
私も定子様が大好きなので、先生の解説に心洗われる思いです。毎回楽しみにしています。
励みになるコメント、本当に有難うございます✨✨
同志に出会えた気分で、本当に嬉しいです💗
初の大河ドラマ化、感無量ですね🍀
白駒先生、いつもありがとうございます😊。
平安の雅の美しさをうっとりしながらこのドラマを見ておりましたが、道長の疑念、宋人は本当に商いをしに来たのか?もしや官人、あるいは戦びとなのではないか?という懸念は千年後の現在を生きる我々と共通の懸念ではないのかと、急に現実に引き戻された思いです😥。そう思うのは残念ですが、にわかに為時頑張れー🇯🇵と思うのです。後世の子や孫は現代をどう評価するのか心配になりました。
ホント、宋人たちの狙いがよくわからず、ちょっと不安ですよね💦
疑うことも、信じることもせずに、先入観なしで相手を観察し、分析することが必要ですね!
私たちが子孫からどう思われるか…考えると、急に不安になってきました😅
先生の解説にある紫式部集22番に「浮」「舟」の字があり源氏物語の浮舟の着想がここにあったという説があるというのはなるほどと思いました。浮舟の人生は水に浮かぶ舟のように自分ではどうしようもない運命に流されていたと思いますが。もう一度宇治十条を読んでみます。今日も有難うございました。
コメント有難うございます✨✨
浮舟の人生は、本当、このネーミングの通りですよね。
でも、なぜか嫌いになれなくて…💦
彼女が人間として成長する姿を見たいです😊
でも、出家しちゃうと、それも難しいですね💦
「塩津山」の歌。苦労している担ぎ手の人達に上から目線の歌、と思われがちですが、「皆さんはわかってしまっているんでしょうね、人生の大変さを(私はこれからです、つまり未熟者です←ここが大事)」ということで、「誉めて笑いをとって励まそうとしている」というところではないでしょうか。そうでなければ、わざわざ詠む意味がありませんので。
道長の苦渋の顔が印象的でした。落飾が5月、貴子死去が10月、出産が12月、道長もこのタイミングの悪さに身も凍る思いだったと思います。出家した中宮の出産、何かひとつ間違うと大問題。さすがの実資の日記にも前例がないはず。定子亡き後、道長も御子の世話をすることになると思いますが、清少納言はどうだったのだろう、と気になりました。
なるほど😊
わぁ、そういう解釈、素敵ですね❗
私もそのように受け止めるようにします😍
定子の生んだ子どもたちは、彰子が育てることになると思います😊
実は彰子は、定子の産んだ皇子に皇位を継承させようとし、そのことで父の道長と対立したと言われています。
ドラマでは紫式部の越前下向があっという間に描かれているので、白駒先生に丁寧に解説していただきありがとうございます。
浮舟の件、禁断の愛は源氏物語の大好物ですよね😊
コメント有難うございます✨
当時は都と地方では文化のレベルがまるで違うでしょうから、短い期間でも、紫式部にとって、越前での暮らしは、さまざまな刺激となり、後々まで影響を及ぼしたのでしょうね😊
禁断の愛…❗ 確かに『源氏物語』には、これでもかというぐらい、禁断の愛が溢れていますね😅
やっぱり道長はお父さんと同じ
ドラマではいい道長なんでしょうけど
どうなるか楽しみでもあり苦しいです
過去の大河では、純粋だった主役が、権力の座に上り詰めるに従って、闇落ちしていきましたもんね💦
今回の道長はどうでしょうね😊
初夏初夏さんの真心泣ける😭
ごめんなさい、初夏初夏さんの意味がわからなくて…💧
@@白駒妃登美-d7v ファーストサマー ウイカの漢字表記です。🤓
@@白駒妃登美-d7v
ファーストサマー「初夏」初「うい」夏「か」さんのことらしいですよ(☆∀☆)
私も調べてみて楽しくなっちゃったんですよね(*>∇<)ノ
@@つっちん猫次郎さん💞
なんと、ファーストサマーウイカさんの漢字表記でしたか❗
座布団3枚差し上げたいです😍
はい、彼女の真心には泣けます😭😭
@@Naraaogakiさん💞
教えてくださり、有難うございます✨✨
センス抜群ですね😍
白駒さんの動画を見て中宮定子という人物に大変興味が湧きました
コメント有難うございます✨
私は極端な定子推しなので、話半分ぐらいに聞いてくださいね(笑)
いつも楽しく拝聴しています。
確かに「かわいそう」なのかもしれませんが、定子は伊周を半ば匿う形になり、許可を取らずに落飾します。
何故一条は定子に中宮号を返上させた上で庇護するという選択をしなかったのか。
このあたり、つまり中宮号を与えたままの状態でいることを非難するような記述が権記にもあります。中宮は皇后の別称ですから中宮号には非常に重い責任があった上に成り立っています。
自身の役職の安定も当然あったでしょうが、臣下たる貴族衆の考えを背負った上で、道長はこれ以降も行動していたようにわたしには思えます。
確かに現代人から見ればかわいそうではありますが…
毎週動画をご覧くださり、有難うございます💗
そうですね💧 行成は、出家した定子には天皇の神事を支えられないから…という理由で、彰子を中宮にしたい道長をバックアップしました。
そして、道長が自分の職務を全うしたというのも、その通りですが、道長の定子へのいじめは、度を超えていたなぁと思うのです。
出産のため定子が引っ越しをする時も、わざわざその日を選んで1泊旅行に出かけ、貴族たちに引っ越しを手伝わせないようにしたり…。
後ろ盾がいない姪っ子にそこまでするのかと、胸が痛くなります💧💧
だから、ますます一条天皇は躍起になって定子をかばい、支えようとしたのでしょうね。
人間の心理って、今も昔も変わりませんね😊
@@白駒妃登美-d7v
返信ありがとうございます。
確かに叔父が姪にと考えればやり過ぎだと思います。
わたしも枕草子、素晴らしい随筆だと思っています。清少納言の定子への愛情も疑う余地がないですね。
それゆえに後世、道長が不必要に悪人にされている気がしてなりません。
権記には「帝の個人的な私恩によって、中宮号を止めずに封戸も支給されているに過ぎない。尸禄素飡の臣(禄盗人)のようなものである」とあり、定子に皇子が生まれた時、小右記では『横川の皮仙』と皮肉っています。
このように言われる時代だと考えるならば、一条の未熟さが残念でなりません。
長文失礼しました😅
これからも楽しく拝聴させていただきます。
@@midoriyoshida6397さん、深いコメント有難うございます✨
こんなふうにやりとりできることを、とても幸せに思います🍀
帝のことを悪くは言えないので、側近が悪く言われてしまうことは、いつの世も同じですね!
これは、私の推測ですが、伊周や隆家がやりたい放題のことをやって、中関白家は自滅するわけですが、花山院の意向を無視して大事件に仕立て上げ、女院や道長への呪詛を主張した者たちの、悪意のようなものを一条帝は感じていらしたのかなぁ💦
定子が亡くなった時の、帝の嘆きはひしひしと伝わってきますが、女院が亡くなった時、息子としての悲しみを伝える史料は無いように思います。
帝にお逢いして、直接お気持ちをきいてみたいですよね😊
これからも楽しみにご覧いただけること、とても光栄に嬉しく存じます❗
今週も頑張ります😊😊
少納言も、火事で家と家財道具を全部失った下男に「御秣をもやすばかりの春の日によどのさへなど残らざるらん」と詠んで女房たち皆で爆笑していた話があったから、貴族は庶民をレベルの低い階級、と見るのが生活習慣みたいだったんだろうな…
そうなんですよね!
今とは社会規範が違うので、比較するのも無意味なのかもしれませんが、高級貴族の意識はそんなものなんですよね。
でも、だからといって、彼ら、彼女らの残した業績が色褪せるわけではありませんが、庶民の悲哀を感じますよね💧💧
一条天皇は、大変聡明で、民を思っている人物のようにドラマでは描かれていますが、もしかしたらトップに立つ人間の方が、民を思っていたのかもしれませんね💗
越前では、まひろに新恋人が出来た?そんな予感がしますね、周明とまひろの恋の行方が気になりますね、一方京都では、定子様が道長に帝の子が出来たと言い守ってくれるよう頼んでました、道長ならきちんとやるでしょう
まひろと周明の恋の行方、気になりますよね!
周明の気持ちはまだよくわかりませんが、まひろはかなり積極的でしたもんね😊
ドラマの中の道長に、しっかり定子と御子を守ってほしいです😍
歴史の中の道長は、かなりひどい仕打ちをしているので、せめてドラマでは…と祈るばかりです❗
我が心 焼くも我なり はしきやし
君に恋ふるも 我がこころから
とはいえ、それを理由に心を捨ててしまっては命は輝かずまるで死んでしまっているようです。
大切なことは、まっすぐな想いを善いものとして紡ぎだし、ありがたいものとして編んでいけるようになりたいということ。
そんな想いを私は源氏物語から受け取っています(*´ω`*)
『源氏物語』からの素敵な学びをシェアしてくださり、有難うございます✨✨
『源氏物語』は、人間心理の奥深くと向き合うことのできる、素晴らしい作品ですよね✨
白駒先生が清少納言推しであるのは、個人の自由なので構いませんが、式部が籠を担いだ人に向けて読んだとされる和歌をもって、上から目線 と断言するのはいかがなものでしょうか!
源氏物語という、途方もなく深い深い大作の作者ですもの、ユーモアを持ったもうひとひねりある違う解釈を期待してましたが、ガッカリです。
定子推しで目が曇ってしまってます?
貴重なご意見有難うございます!
ぜひユーモアを持った、ひとひねりした解釈を教えてください😊
別の方が、コメントで私の全く思い至らなかった解釈を教えてくださり、大変勉強になりました😍
白駒先生は清少納言持ちだから分かりますが、残念ながら定子様が落飾されたのは明らかです。そこにケジメを着けなければいけないと言うことではないでしょうか。
はい、論理の上では、その通りなんです。
でも、人間の心は簡単には割り切れませんね💦 定子推しの私もそうですが、おそらく一条天皇もおつらかったでしょうね💧💧